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なんとかなるもんさー

ナイチンゲール文献の概要と『看護覚え書』の価値

いずれにしても、手稿文献の量はたいへんなものです。バインダーの中には、ナイチンゲールが一人の看護婦と四百枚を超える書簡のやりとりをしていたことがわかるものもあって、これらの書簡が翻訳されることにでもなれば、ナイチンゲールの看護に向かう情熱や思いが、今よりもさらに鮮明に伝わつてくることは間違いないことです。こうした数々の事実をナイチンゲ-ル研究の視点でとらえ直せば、汲み尽くせないほどの量が存在することに気づかされるのです。

 

 

 

 

ところが何とも不思議なことに、世界中の看護婦たちは、長い間このナイチンゲール文献の存在を無視し、看護の研究対象として考えることはありませんでした。読もうと思えばいつでも、誰でも、簡単に目を通すことができるのに、英国やアメリカなど英語圏の国々でさえ、ナイチンゲール文献の概要を知って、自らこうした文献をひもとこうとした看護婦は、ほんのわずかしかいませんでした。

 

 

 

 

先にも述べましたが、結局ナイチンゲール文書が最も有効に活用されたのは、伝記作家たちによってでした。したがって、ナイチンゲールの評価は、主に伝記の中においてなされたものであり、ナイチンゲール自身が看護について書き記したその思想については、ほとんど触れられずに経過してしまったのです。

 

 

 

 

むしろナイチンゲールのイメージは、彼女が意図した内容とはかけ離れて削られ、広げられてきているように思われます。そして現在の看護界では一般に、ナイチンゲールが創設した看護は、すでに時代の進展の中で乗り超えて進んできていると信じられています。果たして、そうなのでしようか?ナイチンゲールが書いた文献をほとんど解読しないで、ナイチンゲールが本当にわかったとか、古いなどと言えるのでしようか?

 

 

 

私が〈今、なぜナイチンゲールなのか〉と説く理由の一つは、正にここにあります。少なくとも百五十編の印刷文献のうち、代表的なものを読みこなし、さらに手稿文献にも目を通した上で、ナイチンゲールが残した看護思想の内容を明らかにするまでは、私たちはすでにナイチンゲールを乗り超えたと言明するわけにはいかないでしよう。