「気概なき良心」は可能か
医師にしろ看護師にしろ、医療者といってもそこにはいろんな人間性の人が働いてい
ます。数が増えれば増えるほど、質の低下が懸念されるのはどの世界も一緒。看護師
にしろ医師にしろ、多くの人が働くようになれば、いい人も変な人も数としては増え
てしまうのです。
それでも、普通の感覚をクリアしている人ならば、そこそこプロとして良心をもつて
働こうとするでしよう。しかしその良心をもちつづけるのもたいへんな状況になって
いるのも確かです。
医師がすべてを仕切る代わりに實任も全面的に負った時代であれば、〈医師たるもの
は斯くあるべし〉という精神論も多少は意味をもつたかもしれません。しかし、「医
療の主役は患者」の世の中では、医療者はあくまで患者の自己決定をサボートする役
回り。こうした気概はむしろ患者にとつても迷惑なものでしょう。
その気概なしに、どう医療者が〈良心〉を維持するのか。その新しい時代の職業倫理
を構築するためにも、昔ながらの〈医療者は人格者であるべき〉論は見直されなけれ
ばなりません。
権威を剥奪しておいて、その権威と引き替えに引き受けていた精神論だけを求めるの
は、それはそれで調子がいいでしょう。これからの医療者は、ものすごく立派でもな
い代わりに、非常識でもない。そんな人が増えていくんじやないかな。
私としては、それで十分だと思つているんですけど。